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2006年05月07日Sun [01:15] 自分の話題  

少し懺悔を

少し懺悔がてらに、自分の事を書いておきます。

私は書く場所によって、その文章が人に与えるイメージが大きく変わります。書いている主張がどうのでは無くて、その書く内容が全く違ったりするのです。

根っからの関西(大阪)人ですから、お笑いの文化は骨の髄まで染み込んでいます。ただそれを議論系MLなり、ブログでは出していません。自分が必要とも感じていないし、相手側も真面目に会話しているなら失礼だろうとの配慮ですが、時折、そんな私に「お笑い」を勉強したらという相手が現れます。此方も大概は関西人なのですが、これには私も真面目に書きすぎたかと当惑し、「どんなのを?」と応じたりします。

しかし少し考えてみれば、私が絶対に論破されない理由が「キレて無いっすよ」ばりにコロコロと視点を変えるからだと言うことが判りそうなモノなのに。お笑いの真髄はね、極限状態の中に有るんですよ。未熟者さんへ。

だからね、どんなに追い込まれようが、必ず整合性を保ったままで言い返せる。

これが懺悔。。やな人種ですね、関西人(私ね)って奴は。

私は昔(小さい頃)から、お笑いが好きで、本が好きで、映画が好きで、スポーツが好きな人間です。とまあ、ここまで書いても普通です。ならばと、お笑いなら自分が生まれる前でも、本は多種多様な分野の本を、映画ならウェスタンにマカロニも、スポーツならば球技全般こなしてきた偏スポーツ万能人間。では?。

さらにギャンブル好きで、ゲーム好き人間。←妻も呆れている

だから書いているMLによっては、私はSF談義や卓球談義など。バスケット・ボールの話やら、映画の感想など。時にはゴルフ談義なり、パチンコや競馬の話など。そんなことばかり書いています。

つまり、まるで尽きる事の無い、私の選択(ML)だったりします。

さてさて、ここまで暴露しちゃったからには、ここも少し趣向を変えましょうか。とは言えど、ここは私の気儘な日記です。どんな話題に振るかは、全くの未定です。

まさに、寄り道ばかりの雑記帳です。

どんな話題が出てくるか、まるで私にも分からないのです。ついでに、ふと更新が途絶えて月に1本や2本のエントリーで済ますのかもが。。困りものですねえ^^


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2006年01月12日Thu [13:05] 自分の話題  

今年の抱負

遅ればせながら、今年の抱負を書きます。

まだまだ若いと思っていた私ですが、ついに今年は世に言う「おじん」の仲間入りです。そこで自らに課していた厄年=役年的な立場を卒業して、もっと気楽に書いていこうと思います。

物事には全て光と影があり、どちらか一方しか見えていないと判断を誤ります。私の別ブログでもあるloxiasとはアポロン神の別名から採用していて、この神は非常に難解な御神託でも知られています。

つまり私もまた難解であり、無条件的な小泉支持では無いのです。評価する部分も有るが、評価出来ない面も知ります。しかし人は一端「これは!」と決めつけると、もはや肯定派と否定派に分かれてしまい、どうしても判断が偏ります。そうでしょう。

しかし、人間って奴はそんな単純な生き物ですか。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃ有りませんが、彼の経済政策だけを捉えて国際外交における日本のポジションを優位に導いたとか、無駄な公金投入の実体が浮き彫りにされてきたとか、そんなプラス面を評価する事も出来なくなるのです。それが偏った場合の、弊害なのです。

だからまあ私は偏らずに、書きたい事を書きます。気楽に、気楽に。


追加:

ここ数日前から風邪をひき、鼻水と咳に悩まされながら書いています。^^;

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2005年08月30日Tue [11:29] 自分の話題  

贈る言葉(1)

普段、誰もが何気なく喋っている、この言葉というのも面白いものです。時に、その言葉は発した本人すら想像もしない位、相手の生き方、人生にまで影響を与えてしまう事が有ります。

私もまた、幾つかの言葉が心の中に刻み込まれています。発した本人すら気づかず私に贈ってくれた言葉。そんな生の言葉達を書きとめ、私は私の息子達にどんな言葉を贈ろうかと悩みます。

人の嫌がる仕事を、率先してしなさい

これは私が社会に出る時に、父が私に贈ってくれた言葉です。この世には人が嫌がるような、そんな仕事が多く有ります。例えば、営業ならば出来るだけ有利な仕事をしたい。自分の売る商品は何処よりも競争力があって、相手もそれを買いたいと欲しているなんて状況ですね。教師ならば、自分の受け持つ生徒達はすべて優秀で、大人しい子ばかりなら良いな。これらが、人の求める仕事でしょうか。

それを、私の父は否定したのです。そんな楽な道ばかり考えていないで、どんどんと困難な道(仕事)にも挑戦してみろ。でしょうか。

当時の父よりも、歳喰った私は考えます。でも、未だに最終的な答えは出ません。

仮に、この言葉を自分を意味のない高所に置く事無く、常に自分を前線に置け。そして常に考え、より高みを目指せとの意味に置いたら。

仕事を金のためと割り切るのは簡単だけど、そんな仕事で一生を費やすのは空しい事です。また仕事一本の仕事人間でも、これまた空しいものです。

私の若い頃「お前は会社に遊びに来ているのか?」と、一部の先輩達に叱られた事が有ります。「そうです!」と、私も悪びれずに言い返したものです。これは独身時代の私が用も無く会社に入り浸り、形程度に少しばかりの仕事をこなしては、また違う事(ぶらぶら散歩)をしたりしてたからでしょう。

これは普段の仕事中には忙しくて掴めない仕事の勉強や、会社内部の事を吸収していた時期になります。当然ながら、そこには当時の先輩達が言うような、その時点での私が知る必要も無い事だって多々有ったでしょう。そんな事ばかりに首を突っ込みたがる私だったから、先の、「遊びに来ているのか?」になるのです。

だから私の答えた「そうです!」こそが、当時の私が出した父への回答でも有ったのです。遊びだからこそ、どんどんと困難な事にでもぶつかって行ける。遊びだからこそ、どんどんと「より良く」と考えてもいける。

こんな私の仕事に関する考え方を不謹慎だと感じる方も居るでしょうが、自分の一生を賭けた仕事を楽しみながらこなすのと、または金を得るため、または仕事こそが命と惰性でする仕事と、どれが良いのでしょうかね。

何時も何か工夫を考えていて、その為には時間も労力も惜しまない。それは自分が普段の仕事を如何に楽なものに変えられるか、自分も他の人達も喜べる、その為の労力ならば。だけど、それはやはり私の遊びです。当初は、誰も私にそんな事を要求などしていなかったのですから。

そして職人と呼ばれた先輩達の多くは去り、そんな先輩達の技を数値・手順化した私は残っています。何とも言えないのですが、私の求める仕事は、まだまだ別のトコロに有るのです。考える職人(匠)こそが私の追い求める理想であり、機械で再現できるような技に慢心しているような人は要らない。と。。。

まだ私の勤める会社は大企業と呼ばれ、そんな先輩職人達も他部署で元気にして居られます。それが、少しは救われる。遊び感覚で次から次へと職人技をコピーし、新しい機械に展開していった張本人の私としては。。

ほんの、大きな会社の中の、ごくごく一部でのお話なのですが。

まだまだ父の出した言葉の宿題は残り、私の中で旋回します。誰もに喜んで貰えるような、そんな私の仕事とは何だろうと。

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2005年06月17日Fri [09:45] 自分の話題  

殻つきピーナッツ

ポリ、ポリ、ポリ・・・

この日曜日に、近くの公園で環境美化の催しが有りました。それからずーっと、私は殻つきのピーナッツを食べています。どうしてって?。私の息子が催し会場で、景品が殻つきピーナッツのゲームをしたからです。

皆さんも、こんなゲームを御存知かな?

たっぷり水の入った水槽にワイングラスとガラスコップ、そして小さなお猪口の三つが沈めて有ります。そこに、1円玉を投げ入れるゲームを。

溢れんがばかりに入れられた水は1円玉を弄び、中のコップやお猪口に1円玉を入れるのは難しいものです。2度のチャンス、2枚の1円玉くらいでは、とてもとても。

ユラリ、ユラユラ。1円玉は、水の中で気儘な動きをします。

とてもじゃないが、私には大きなワイングラスにさえ入れる自信が有りませんでした。実際に、私が見ている前でも幾人もの人が失敗しましたしね。水槽の中は、沢山の1円玉が山になっています。だけど、殻つきピーナッツは私の好物です。まあ1円玉が2枚共外れて入らなくても、小さな玩具のスコップで1杯分(参加賞)はピーナッツをいただけます。

うふふのふ。

40を過ぎてからは血糖値もレッドゾーンに近づき普段は我慢している私ですが、好きなものは好きですもん。良い口実ですもんね、環境美化のためだよーん!!って(笑)

そのゲームを待つ列に、私は並んでいました。

そこに現れたのが、前もって渡していた小遣いを使い切った、私の長男坊です。「それ、やらせて、やらせて!!」と、私の手から100円玉をひったくります。そしてその100円を1円玉2枚と交換し、いざゲームに向かいます。

そして狙うは1番難しい、小さなお猪口。
「おぃおぃ、それは無謀だよ」と、歳喰った私は思います。
水の中で勝手気ままに動く1円玉を考えると、それはあまりに無謀ですから。

1枚目、1円玉は見事に小さなお猪口に吸い込まれました。
「おぉ~!!」と、後ろに並んだ人たちの歓声。

2枚目、またもや1円玉は小さなお猪口にヒラリ、ヒラリと舞い降りました。
もはや、あっけにとられた後ろの人たち。私もです。

景品は、玩具のスコップ(大・中・小)のなかで、1番大きなスコップ2杯分のピーナッツ。その量は近くのスーパーで買い物をしたときに手渡される、大きなビニール袋1杯はある。。

かくして私は昨日も今日も、ポリ、ポリ、ポリ、、、
若さの可能性を忘れかけていた私に、ポリ、ポリ、ポリ、、

私のキーボード周辺は環境美化と無縁になったが、ポリ、ポリ、ポリ、、、
分かっているようで、でも何時しか忘れていた事を思い出して、ポリ、ポリ、ポリ、、、

まだまだ、ピーナッツは沢山あります。
もっと、もっと思い出せかよ。ポリ、ポリ、ポリ、ポリ、ポリ、ポリ、、、。。。。


*************************

これは2004年11月17日に書いてあった文章を、これから先も、私が忘れないようにとエントリーするものです。

忘れないつもりでいても、それでも忘れてしまう「挑戦する」という心。それを戒めるために、時折は読み返そうと。そーっと静かに、このブログに入れておきます。

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2005年06月16日Thu [19:50] 自分の話題  

替え歌

森トンカツ 泉ニンニク かコンニャク まれテンプラ 静か・・

この文章にメロディーを付けられたら、あなたはもう立派な年配です。
はたまた、かなりのアニメ・オタクとでも言えるかな。

何時の時代も小学生の替え歌は奇想天外で、その癖、全国に拡がっています。
私が上に書いたのは自分の時代に歌われていた替え歌で、
当時のヒット曲から来たものです。そう、山口百恵時代のお話です。

それから長い月日が流れ、今は自分の子ども達と接する私です。
しかし、最近の替え歌は世相を反映してか、とても残酷な歌です。

息子達がパソコンでスプラッタなHPを覗いていると、私は注意します。
「お父さんは、そんな残酷なHPをお前達に見て欲しくない」と。
「そんなHPばかり見ていて、命を大切にする事を忘れて欲しくない」と。

だけどそれでも知らず知らずに忍び寄る、残酷な描写の数々。
私も、また他の親たちも必死で抗ってはいるが、それでも押し寄せてくる。

今、教育に携わっている者が真っ先に手を付けるのは、本当はこっちでは。
国旗や国歌云々よりも、まずは年々過激化する世相への挑戦でしょう。
学びの場が何時までたっても人々の心の故郷で有り続ける事であり、
そんな学びの場を維持・拡大する事では無いのでしょうか。

小学生の替え歌は語ります、これから先の日本がどうなるのかを。
耳を傾けて欲しい、今の子ども達が何を考えているのかを。
どんな悲鳴を上げているのかを。あなたには、、聴こえますか?

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