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2006年07月04日Tue [19:44] 徒然の話題  

寄り道の効用

小さい頃、私は家にランドセルを投げ込むと、何時も日暮れまで出歩いていた。家が商売をしていて両親が働いていたという理由も有るが、何よりも外で遊ぶのが好きだったのだ。

そこで私は、いろいろな所に顔を出していた。

近くの鉄工所の中を覗いては、不思議な形の鉛片を探してた。牛乳工場の構内では、珍しい牛乳のキャップ探しもした。農業用溜め池からの水路ではザリガニ釣りをし、ついには何らツナギを施していない、丸太や板を組み合わせただけのイカダで乗り出した事も有る。

あれは今年のように、とても寒い冬の事だった。釘の1本、ロープの1本すら無いイカダなど長時間浮いていられよう筈もなく、周囲1キロほどの溜め池の真ん中当たりでバラバラに分解してしまった。当然、私と悪友連は冷たく、臭い池の中に放り出されたっけ。

歓声を上げながら、丸太にしがみついて岸に戻り、風よけに日当たりの良い土手の内側で服を乾かす間、私は悪友達と「次は何処行こう」と懲りもせずに、次の行き先(遊び場所)を話し込んでいた。そう、トーマスとハックのように。良い、時代だったと言うべきか。

思えば、あの頃の私は寄り道ばかりだった。

フランスの、ジャン・ギットンという哲学者は言う。
「学校とは一点から一点への最『長』距離を教えるところである」

人生とは道草・寄り道(最長距離)のほうが、その時も、後で思い出したときも楽しいのではないのだろうか。と、言う人もいる。

考えることの大切さ

勉強や仕事で、最『短』距離を歩む事を余儀なくされる日本人。何時しか、最短距離こそが最高だと勘違いしていないだろうか。浪費して無駄だったなあと感じられる時間こそが、本当は最も大切な時間だったのではなかろうか。

最短距離を歩く事に慣れきった人は、実は線路から外れた事に対応できない。知識こそ有るのではあるが、それを組み合わせるのが不得手のようにも思える。

最『長』距離を知らずして、どうして最短の最短である事が分かろうか。

これが、日本の『ゆとり教育』で忘れられていた事ではないだろうか。


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