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2006年09月01日Fri [22:57] 徒然の話題  

ヒトは弱い

人間が「信じたいことを見出してしまう」効果については、大きく分けて2通りの説明があります。1つ目は「誰でも自分が優れている(まともである)という証拠を欲しがっていると言う事です。はじめから【そういう証拠】だけを探して、それに反する証拠に出会っても無視するか、すぐに忘れてしまうのです。これが人の持つ、「信じたいことを見出してしまう」ことの、動機論的な説明となるのです。

これとは別に、純粋に認知要因による説明も可能です。たとえば周囲は本人の喜ぶようなことしか言わないので、はじめから得られた情報(証拠)のサンプルが偏っている、という説明です。

これらからすれば人が陥りやすい「自分は平均以上」という錯誤も、総意誤認効果も、ともにうまく説明できます。どちらにせよ、人は簡単に「信じたいことを見出してしまう」のですから。

対話や討論の場面では、失敗を(また成功もある程度)眼の前にいる他人に帰しがちな傾向があるということが知られています。これなども「失敗は認めたくない」という動機論ふうの解釈もさることながら、単に手がかりが目に見えているかいないかという差だという認知論ふうの解釈が成り立つのです。というのも対話場面では、自分の表情や行動は自分では直接見えません。しかし他人の言動は直接見えて目立っているからです。

つまりここで認知論ふうといっているのは、人は常に入手できる手がかり、特に目につきやすい手がかりに原因を帰してしまいがちだという考え方からのことです。

結局は、ヒトは信じたいこと(だけ)を確認したがるのです。

しかしこれらは常識として皆知っているようで、実は皆その影響を過小評価しています。多くの人々は自分が平均以上に知能が高く、平均以上に公平であり、平均以下の偏見しか持たないと思っているのですから。「他人とうまくやってゆく能力」についても、なんとほぼ全員が平均以上と考えいるのが実情です。このバイアスが知性や教育レベルとは関係ない証拠に、大学教授の9割以上が、自分は同僚の教授たちよりも優れていると信じてたりするのです。

周囲の大多数の人は自分と同じ好みを持ち、自分と同じ判断をするはずだと思いこんでしまう。

これをもって、私は「人間とは弱い生き物だ」というのです。自分とは異質の存在を受け入れる事の出来ない、小さな群れ社会に生きる生き物特有の。

さてさて、これで現代社会の急激な視野(情報)の拡大に付いて行けるのでしょうか?。

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