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2006年09月02日Sat [13:05] 日本の話題  

計算問題得意でも

「うんうん」と思わず頷いた記事が、以下の「計算問題得意でも文章題には? これが小中学生の実態」になります。確かに、私の子供たちも文章題が苦手なのですから。

ようやく子供たちの長かった夏休みも終わりましたが、最初から最後まで侃々諤々と騒がしかったのが「文章」や「想像力」を必要とする宿題なのです。読書感想文に、自由課題などの「自分で考える」問題が苦手ときている。この傾向が自分の子供らだけでは無くて、日本全国的な傾向というのも頷けたりするのです。この自分で考えてみるという事の能力不足が、今や日本社会全体を覆いつくす癌として蠢きだしている。そう考えてみると、何か衝撃的な事件の後に必ずといってよいほど模倣犯罪が出てくるのも頷けます。そんな大袈裟な事例を出さなくても、世のマニュアル万能神話なり、群集心理丸出しのミーハー傾向をみれば分かることです。

計算問題得意でも文章題には? これが小中学生の実態
(2006年9月1日23時52分 読売新聞)

計算は出来ても、文章題から計算式を導き出す力は低い――。文部科学省が所管する総合初等教育研究所が1日、発表した「『計算の力』の習得に関する調査」の結果から、そんな小中学生の実態が浮かんだ。

同研究所は「文章題の意味を理解し、かけ算やわり算を正しく使って式を作る力が劣る」と分析。今後、教師の指導法を改善する冊子などを開発していく方針だ。

調査は全国から抽出した、国公立の51小中学校、計1万1382人の児童・生徒が対象で、昨年3月に実施された。1985年、98年に続き3回目。これまでは小学生のみを対象としたが、今回は中学生も含め、計算問題だけでなく、新たに文章題も出題した。

計算問題については、例えば、「0・3÷0・4」という、小数同士のわり算の正答率が、小5で82・5%に達するなど、好結果が出た。平均正答率は、小学1~4年で前回調査を1~3ポイント上回り、小学5、6年もほぼ同じだった。

一方、文章題から計算式を導き出す問題では、小中とも正答率が低かった。

「0・6メートルの青いテープと、1・5メートルの赤いテープがあります。青いテープの長さは、赤いテープの長さの何倍でしょう」という問題の正答率は、小学5年で47・1%。計算式を作ることができたのも51・2%にすぎなかった。

「6リットルは、何リットルの1・2倍か」という問題では、「6×1・2」「1・2×6」「6÷1・2」「1・2÷6」の四つの選択肢から回答を選ぶのにもかかわらず、正答の「6÷1・2」を選んだのは、小5で50・3%。中学生でも65・4%にとどまった。


大局的にみると日本の教育も戦前・戦中に教育を受けた世代の教師がいた時代と、それ以降の世代教師の場合では話が変わってきます。これは盲目的思想信仰以前の問題として、活字文化以前と以降の問題にも繋がりそうです。最近でも知識としての流行本は出ていますが、趣味として、教養としての本は減りつつあると感じられます。事実、近くの本屋でも売り場面積が年々縮小しているような気がするのです。気のせいか、その本屋の方針かは分かりませんが。。

かつて「1億総白痴化」と言わしめたテレビの普及ですが、その影響がジワリと滲み出しているのかも知れません。知らずその影響下にある私達は、ここで書いた「白痴」化すらIMEの語彙に無いことに気がついていない。これはMSのIMEを使って書いていますが、いくら差別的な語彙でも「忘れていては、何が差別かも知らず育つ」のでは無いでしょうか。どのような言葉にも罪は無く、その使い方に問題があるのです。

隠そう、消そうとする一方の意思が、本当は事の本質を覆い隠している。

教えるという事は、本当は「考える力」を伝える作業です。一方的に自分の考えを押し付けようとするのは、これは儒教的な発想に過ぎないのです。つまり、それは宗教。相手を思考的に盲目的信者に変えては、自分たちの優位を保つ為の方策です。これは近隣諸国で数多く見られる現象ですが、結局は全体主義的な民族主義に他なりません。戦前・戦中派だったかつての教師たちは、また活字世代の教師たちでも有ったのです。これは知識の詰め込み主義と非難される場合も多いですが、いろんな事を教わる事は取捨選択の機会を与える事でもあるのです。多くの知識の中から、自分に必要となる部分だけを抜き出す力。それは3次元の世界から、実社会に必要な2次元の知識を見出す為の知識。しかし3次元の基礎知識も持つのですから、応用力は飛躍的に上だと思えませんか?。

また別の見方をすれば、昨今のゲーム環境が影響しているとも言えます。人々がゲームという誰かの考えた世界観に浸りきって、そこから得るものが少ないのも問題です。ゲーム世界は言いようによれば「単調」な世界であって、例えそこで架空の戦闘なり恋愛をしても平面的と言えるのでは無いでしょうか。恋愛・エロゲーをしていても、そこに借金取りは現れませんね(シナリオにもよるが)。つまり平面的、とても3次元的な実生活とは比較になりません。だからこそ、人は「かなり思い通りになる」ゲーム世界に浸って時を忘れ(られ)るのです。

生意気な事に、最近の中高生は簡単に「ストレス」を口にするのです。確かに子供でもストレスが有るでしょうし、それをゲーム世界で発散するのも多少の理解は出来ます。今のような楽しいゲーム機が無かった私たちの世代では遊びに行くか、本を読んで発散してただけかも知れませんからね。

ただまあ、足らない分は補えるものです。

私たちの場合は「常に足りないから、考えて遊びを工夫した」のが実情で、近年は急速に普及してきた電脳世界が補いだした。それは2次元世界では物足りなくなった人々の、新しい欲求として。

読売の記事に戻ると、これは電卓世代の話なだけです。最近は携帯電話にも簡易電卓機能は付き物ですし、国語辞書はワープロソフトが、翻訳は自動翻訳の時代です。計算問題だからと、計算式は出来る子供が多いのです。この式まで分からないと、電卓も使えませんから。しかし文章題は出題者の意図を読む翻訳が入る分だけ、そこで勘違いをしてしまう確率が高くなるのでしょう。

相手の意図を自分なりに解釈(翻訳)して、正解を出すのが難しい。しかし基礎知識は有るので計算はもとより、漢字の間違いも少ない(これも、正解を知らないと間違いだらけの文章になる)。これは何も子供たちだけの問題ではなくて、大人も同様でしょう。

掲示板等では「確率」を「確立」と書き違えたり、「白痴化」を「愚民」とか「民衆」に置き換えた文章を眼にする事も珍しくありません。政治的には相手国の意図を読みミスしていたり、正解とは程遠い解決策を言い出す人もいます。実は、私も含めた万人が「考える事に弱く」なっているのです。

この弱さを補う為の1方策としても、私は昨今のネット環境に期待しています。活字離れをおこした人々でも、何がしかの「知りたい」という欲求はあるのです。私がネット環境に飛び込むキッカケとなった天文学も、心理学や哲学にしても、総ては「知」の探究心に他ならないからです。ここネットには各分野での優れた人々が書き込みをしていて、その文章を「より一層楽しむ為」には自分も勉強するしか無いからです。

漢字はもとより、その知識(数式でも)を知らないのと知るのでは、その味わいにも雲泥の差が出てきます。縦横無尽に専門知識を駆使する彼らは、時に万人受け水準以上の知識を要求するジョークなども書き込みますから。そしてこれはまた、ゲームの裏技にも通じる感覚なのです。

最近は私の長男も、誰かのブログを読んでいるようです。私も時折覗いていますが、それはまだ面白可笑しいタイプのブログです。しかしまあ、それでも若い世代が活字に触れる機会を持つことは歓迎すべきです。かつて書籍が占めていた空間を、今はネットが補うようになって来ているのです。

誰かの世界観による「考えなくてもよい世界」よりも、自分が選択して選ぶ世界の方が受け入れられる下地が出来てきているのかも知れません。例えどんな分野を選ぼうとも、そこには自分で取捨選別する事を覚えた息子がいます。これからも先、増大一方の知識の洪水の中で「自らが選ぶ」事を知ったネット世代の若者たち。かつて一方的なテレビや新聞の情報に振り回されていた国民も、その代表格(パソコンもまた、立派なゲームマシンです)の進歩と共に変わりつつ有るのでしょう。

パソコンは高価で複雑な機械という時代は過ぎ、今や百科事典であり、週刊誌でもあるという現実の前に私達は対応しているでしょうか。勿論、本にも良書があれば悪書もあるように、その危険性も内在します。だから私は自由に使わせるものの、そのチェックも怠りません。定期的に履歴から訪問先を訪れ、内容のチェックも忘れた事はないのです。かつ、心理学上の観点から「正常な発達」度合いに達していない場合は心配する方です。

「何時までも幼稚な。。」私の子供ですからね、かなり晩熟なのです^^;。

この新しい文明の利器は、使い方によって大化けします。これは昔とは形を変えた活字文化の再来ですし、自由度合いの強すぎる白痴化への道でもある。責任は、常に管理する者に帰します。活字と触れ合う機会の少なかった世の大人たちが、今や新しい世代に振り回される時代となっているのです。

願わくば、それをもって「読解力=考える力」が増える方向に行ってくれ。

とまあ、そう願わずにいられません。正直なトコロ。。

活字離れ世代が親になって、子供の読解力を嘆く。悪い冗談とも言えますが、確かに現代は環境的にも読むと言う事が困難な時代です。子供も子供なりに、幼い頃から他の子供たちとの付き合い費が生じています。それはカードであり、ゲームです。共通の話題を持ちたいと、僅かな小遣いと時間を注ぎやしているのです。とてもじゃ無いが、読書にまで手が回らないとも言えますね。

だから文章題を解くのが苦手なのでしょうが、この問題は一朝一夕では解決しません。あらゆる子供向け産業を規制するか、私たちが自己防衛するかです。親が本の1冊すら読まずして、子供たちの読解力を云々するのは間違いです。総合初等教育研究所の調査は、実は私たちを含む、国民全体の活字離れ、そこから派生する読解力の無さを指摘したモノとして留意する必要がありますよ。


おまけ:オームの法則

E=R×I
R=E÷I
I=E÷R



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