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2005年07月11日Mon [10:21] 徒然の話題  

左翼

現代の日本で左翼(サヨク)が社会・共産主義を唱える事は滅多に無く、むしろ平等な社会とか、貧富の差の無い社会をと、そう唱える方が多いですね。これはマルクス理論がアジアにおいては旧来の封建主義を、ほんの少しばかり形を変えただけの社会主義風バージョンになった事とも無関係では無いでしょう。つまり旧来の封建主義を守りながら国家形態を時代に合わせた国民国家にしただけで、結局は殆ど変わっていない。あいも変わらず皇帝(そうは呼ばないが)や一部の特権階級による政治独占が続いていると、そんな事が平均的な日本人にとっても、もはや白日の下に晒されてきた事と無関係では無いでしょう。

つい最近(100年くらい前)までアジアには欧米のような国民国家が無くて、封建主義だった諸国には、今で言う軍隊が有りませんでした。これを日本で見ると各藩は独自の武装集団を抱えながらも、それはあくまでも自藩の為にあったのです。だから別の藩なり地域が海外勢力に攻撃されても、他の藩の武力は動かなかった場合も有るのです。これが中国ではアヘン戦争のおり、圧倒的に数だけ多くともイギリスに敵わなかった理由にもなるのです。基本が”おらが故郷”を守る為の武装集団が異なる価値観、”おらが国”を持つ相手と対峙するとき、そこには自ずから差異が生じます。そこが当時のアジア諸国が遅れていて、慌てたのが維新時の日本人達だったのです。

ただ日本は小さな島国であり、徳川家治世前半時代には”それほど”の中央集権機構を必要とはしていませんでした。その為に自ずと緩い政治を施行していたのですが、これが功を奏しました。つまり各藩の、そのそれぞれに当時のアジアとしては最も豊かな文化が育まれていたのです。これはアジア農耕文明の中では特に目新しいものでも有りませんが、この民族の力が内に蓄積されていた時代が、日本ではまさに鎖国時代だったのです。ただ世間がこのような状況(文化の絶頂期)に有る時、それは同時に腐敗が蔓延し、文化の崩壊が近い時期にもなります。その意味においても、やはり当時の日本は時期的にツイていたのですね。準備期間(文化の熟成)があり、それを下敷きにしての改革(維新)が出来たのですから。それが、他のアジア諸国(朝鮮半島と中国、他は省く)には無かったのです。その理由も幾つか考えられますが、ここでは言及しません。ただ、それはそれで仕方なかったとも言えるのです。それは視点を中南米等の、今でも後進国である国々をも考慮に入れた場合は。

共産主義は私が考えても最高の政治形態と呼べるものですが、それは民主主義が最高度に発達してから、始めて実現可能になるものです。俗な言い方をすれば、「民度が非常に高い場合にのみ、実現可能」とでも言い換えられるでしょう。しかし、人は何時までも待てぬものです。だからこそ、その中にある”果実”である平等なり平和だけでも、一日も早く欲しくなるのです。しかし大事な基礎である民主主義(民度の向上)の発達を省くと、それは自動的に封建主義へと転化する危険なものなのです。それが日本では”ある程度=当時の欧米レベル”の民度があったから回避出来たし、戦後の動乱期にも回避できたのです。この事の証明はマルクス発祥の地でも共産主義は根付かず、それは当時の後進国だったロシアや中国などにだけ蔓延り、今も人々を苦しめている事から判断が可能でしょう。

どのような政治形態であれ、それを改善する事は可能です。しかし共産主義で民度を向上させるのは困難であって、より回りくどい脇道に逸れたようなものです。

もし日本も鎖国期の文化の熟成による民度の向上が無かったら、それは時の権力者の道具としての共産主義なり、社会主義になっていたでしょう。それは欧米の国民国家形態だけを模写した、新しい封建制度とも呼べるのです。しかし現実はそうはならなく、時間が過ぎている間に隣人達の間違いが次々と証明されてしまったのです。だからこそ、より一層、左翼諸氏は平等とか平和でしか発言出来無い状況になった。しかしそれでも名目上だけの共産主義なり社会主義国家を、名前(名称)に拘る自分達では非難できない。この事も色々と名称が差別的だとのたまう(男女問題始め、沢山ありますね。問題の本質から外れた、ただの言いがかり的な名称変更要求は)、そんな彼らの現状を表わしています。

日本も時代はネット時代になり、今や彼ら大勢の左翼諸氏も徐々に「何か変だ?」と感じているでしょう。それは今までの新聞やテレビの論調からも自分達が多数派と思いこんでいたのが、徐々に少数派だと感じてきているからです。この事も日本古来からの語彙なり習慣から説明できますが、只まあ彼らとしては「日本は右傾化してる」と、単純に見ているかも知れません。しかしどのみち、そろそろ彼らも自虐のぬるま湯から出ない事には駄目と思われます。本当に日本が必要とするのは今までの左翼ではなくて、本当に平和や平等の主張を外の世界に向けて発信できる左翼なのです。
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