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2005年08月02日Tue [10:44] 徒然の話題  

青年よ

青年よ、大志を抱け!
それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。
人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、青年よ大志を抱け。
                    W・S・クラーク

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最近のいろんな資料によると、日本国民(特に若年層)に憂慮すべき程に拡がってしまった歴史離れが見られる。左甚五郎や野口英世などの人物、太平洋戦争や関が原の合戦などの争いすら知らない世代が増加しているのだ。

それは日本史における有名(今は違うようだが)な人物や事件、それらに対する無関心が蔓延して来たからだろう。テレビか何かでブームになれば集団心理も働いて即席に騒いだりするが、過ぎれば又、人々の意識から消え去る。

そこには現状の歴史に対する、人々の認識が有るからだろう。歴史などは学校で習う暗記物の一つでしかなく、実生活には役立たずだと。

確かに歴史は今に対しては何も語らず、その知識は同好の士でもいない限り共有できる物でも無い。

さて冒頭に所謂『名言』なるものを書き込んだが、この名言と呼ばれる言葉の数々にも裏表とでも言える言葉が有るのを御存知だろうか。

一つの名言には必ずといって良いほどに、それに反する名言も有るのだ。

名言とは人が生きてきた証であるからして、その言葉を発した人が変われば、当然ながら同じ内容を言わせても異なるのは当然なのだ。ある人は楽天的に、またある人は悲観的に、それぞれの立場から物を言い、それで残ったものを名言とするからなのだが。

歴史も同様で、そこには数々の示唆が含まれている。それの切口一つで、人々はいろんな歴史を紐解く事が出来る。ある人には反省、また反省ばかりの歴史であろうし、別の人には輝かしく、誇らしい歴史にもなり得る。

歴史を研究する人は別として、私は個人がどのような切口の歴史を選ぼうと問題にしない。ただそれを他人にも強要するとなると、それは傲慢に成る。

中朝の歴史観に、独逸の歴史観。共にそれらは今を生きる彼の国に住む人々の傲慢さから発するもので、他の人々をステレオタイプの枷に追い込む。

日本が、ナチが全て悪いとする。
戦争が、テロが全て悪いとする。
米国が、エゴが全て悪いとする。

その正と邪しか無いとする偏狭な考えが、それを遥かに凌駕する多数の考え方に異を挟む所に、その人や集団の傲慢さは表れる。

またまた話を戻して、それら偏狭な考えに毒されて日本人の歴史離れは有る。

何かを学ぼうとする時、人は楽しくも無い事は手を抜く。自虐的な日本の歴史など読んでいて楽しい筈がなく、たんに点数稼ぎ用に暗記するだけ。だから卒業して役目が終われば、すぐに忘れ去るのみ。

それに対して中朝は反日をテコに、自国民の心を擽る術を知っている。だから対外の歴史でも、自分達に有利(優位)な事には驚くほど詳しい。

しかしまたそれも、やはりステレオタイプな歴史観。限界、欠点は有る。

将来の日本で歴史が今以上に捨てられた時、同じくステレオタイプで自分達に有利な歴史しか習ってこなかった北東アジアはどうなるか。考えるだけで、恐ろしい。

囲碁の白と黒の石が混ざり合わぬように、自虐で加害者と被害者は混ざり合わない。

個人の意思と、集団の意思は違う。
より容易に反発するのが、集団の心理と言うもの。

容易に道徳性の低下や被暗示性の高揚、思考の単純化なり感情的動揺に揺さぶられるのが集団としての私達。そこに多くの人々にとって柄でない、自虐など入り込む余地は無い。

それでも謝らないと気がすまない、日本の左系。(村山元総理などなど)
それが相手に正当性を与え、相手のさらなる怒りを買うだけとは気も付かずに。

だけどまあ、やはり日本人とは大きな集団。個人では無い。

青年よ、大志を抱け!

簡単な事だけど、日本人とは個人の事では無い。悪手に巧手、それらが同時に打たれるのが囲碁の世界。より良い囲碁のプレーヤー、世界に貢献出来る国に日本がなれるように、それぞれの場所で誠実に生きて欲しい。
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