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2005年06月16日Thu [14:27] 徒然の話題  

多様性

日本人の特徴を、強いて一言で言えば何か。昔は勤勉だとか、子どものようだと言いましたね。その時々の、諸々の状況から言いえて妙な事です。では、今の日本人に相応しいのは何でしょう。歴史から見ると日本人が他民族と比べて言うほど好戦的な民族ではない事は、これは当然の事に思えます。それは日本の歴史上、日本が他国を攻めたのは数回だけで、江戸時代には十分、徳川家が他国(朝鮮半島)を攻められた。つまり手に入れられた筈なのに、実際には朝鮮半島を攻めていない事からも分かります。その当時すら諸外国からの情報で、うすうす列強の植民地政策を知っていたのに。

日本人は優しいが、曖昧である。また直前ファイター的な一面もあり、本当に事が切迫した時に力を発揮する【一夜漬けが得意な】民族。それはつまり、本当に事態が切迫したら一致団結できる良い意味での農耕民族そのもの。

こう考えてみると、いろいろと思い当たります。

現代日本が抱える自虐史観は優しさから、何時までも繰り返される。現代日本の在日朝鮮・韓国人問題は曖昧さから、何時までも放置される。だからこそ、日本は外圧に弱いとされるのです。他民族との関係では、それは一夜漬けの弊害にしかなりません。そんな事では、何も自分達の思い通りにならないのです。でもこのような、外から見れば奇妙な一枚岩とも見える日本にも、実は多様性の渦が有ったりします。


【はじめに】

今は国家と言えど、それはもう日本一国や、近隣諸国だけとの利害関係だけでは運営できないのです。これはアメリカにしても日英の賛意なくしてイラク戦は戦えなかったろうし、中国も日韓の協力なくしての経済発展は鈍るのです。そしてまた日本も諸外国との良好な関係なくしては、その存続すら危うい状況下にあるのです。これを身近な話にすると、私は地域社会での新しい流れであるボランティアの増加と、その秘めたる方向性が、そこでの問題解決策すら、そのまま国家間の問題にも拡大できる。この多様性を認めつつも、全体の流れを総意で決める。そんな地域の問題解決法が、きっと国際社会にも通用しうる。そう、私は感じるのです。

今の地域社会。少なくとも私の周囲では、あまりにも拡散した人間関係や行き過ぎた個人主義を引き戻すために、祭りやボランティアなどに力を入れています。それは人と人との半強制的な出会いの場であり、また新たなる人間関係を構築できる場でも有るのです。そして採りようによれば、少し前の日本で流行した韓流にも通じるものが有るのです。世に言う韓流は私にすれば、すなわち懐古主義な面もあるのです。つまり男が男として、女が女としての、あるべき姿として捉えられているのが韓流ブームだと、そう私は思うのです。それが私も何度か見た「冬のソナタ」に感じられる、どこか懐かしい描写の数々になる。そう思うのです。違うでしょうか?

私は日本にジェンダーフリーなる悪い思想が蔓延したのは、それは誰のせいだとは言いません。ただ私に言わせると、それはおよそ的外れな思想の運動なのです。本来ならば男の、男の意識を高めるだけで彼らの理想とするジェンダーイコールを達成できたでしょう。それを男を抑圧しながらの、女の権利ばかりを言い立てたばかりに、現代社会は歪な社会になったのです。つまり真っ先に目立つ男女間格差を是正しようなどとの、短絡的な論理から男らしさ女らしさの「らしさ」を否定していったのですね。そして当然ながら抑圧され女性化した男からは、女性を同等のパートナーとして認めようなどとの思想は生まれにくいのです。逆に甘ったれた、でも肉体的には優位だから、すぐに腕力を振るう情けない男の増産となったのです。それが何も最近からではない、各種の虐待としてニュースに現れてきています。そしてそれを改善しようとする、新しくも古い潮流の一つが、祭りの復活・再活性化であり、ボランティアなのです。

これらの言い方を変えれば、各人の持つアイデンティティーと帰属意識に影響を及ぼすのです。地域の変化は日本に、そして日本の変化は世界に波及するでしょう。だから先ずは足元から、そのうねりを創りだしていかねばならないのです。

〔identity=自己同一性〕 自分という存在の独自性についての自覚。


【地域から日本へ】

かつてカール・セーガンは天文学的な時間の概念を一般の人々にも把握しやすくするために、宇宙の歴史を1年で表わしました。ビッグバンを1月1日の午前0時に、現在を12月31日の最後の瞬間としたのです。このセーガン歴でいくと地球にセキツイ動物が出現したのが、12月19日。人類の祖先が12月31日の夕方で、文字の発明は午後11時59分51秒になります。

なにもこのような例を出さなくても、もっと良い例が有るでしょう。ただここで私が言いたいのは、私達、人間が言語でもってコミュニケーションを始めたのは、つい最近の事だよと言いたいのです。人間はとかく自分の基準で物事を判断しがちですが、それならば発声能力に欠けたばかりに絶滅していったネアンデルタール人と何ら変わる所は有りません。人から人へ、親から子への意思や経験を伝える能力。このコミュニケーション能力を、現代の人々は軽視していないでしょうか。

人間個人の思索・言論活動など、たかが数十年です。そして個人が考えや行動を変えるのは簡単ですが、それが集団(国家)ともなると、それがあまりに緩慢な動きにも見えるのでしょう。だから、知れば知るほど愚痴の一つでも言いたいのは分かるのです。だけれど、それはやはり愚痴です。建設的ではない。

私は集団を運営している人々を無闇に疑わず、かと言って無闇に信じず。常に最善を追い求める、そんな個々人の動きの先にこそ、より良い未来が待つと考えています。何故ならば、この世に、人の考える事に完璧など存在しないからなのです。だからこそ人は常に最善の道を考え、それに向かって努力できるのです。ましてや現代社会の政治体制は歴史も浅く、それに比べて人々の自由意識による参画は始まったばかりなのです。この問題に対しては、人々の寿命など学生スポーツのようなものではないでしょうか。嫌でも次々と、主役(選手)は交代していかねばならないのです。しかし、目的は同じです。より良く、より強く、より高く。そしてそこには、やはり必然的に完璧なものは無いのです。自分の考えこそ完璧とするのは思いあがりであり、そのまま膠着した体制なり、衰退へと繋がる道なのです。

現代の社会にとって、最も必要なのがコミュニケーション能力なのです。これをそのまま世界規模に拡大するだけで、他者の、他国のアイデンティティーの中に自分を組み込ませる事ができるのです。その人や国の帰属意識を変更する事無く、より広い視野(世界)を与える事になるのです。この他人や他国のアイデンティティーと帰属意識の間に割って入り、それを拡大させる努力こそが、それぞれの閉鎖的な問題を崩して、より大きな、しかし緩やかな枠組みの中に人々を誘導できると、私は思います。


【地域から世界へ】

地球上には多くの国があり、多くの民族が住みます。遺伝子的には遥か昔の原母イブに行き着くとしても、今はお互いが、あまりに心情的にもかけ離れた人々です。そこでは固有の宗教があり、固有の歴史があります。それにより私達日本人とは、まったく異質だと感じる人々もいます。また日本の常識が、そのまま通じる場所でもありません。

しかし多くの国々が一神教であり、また表面上は抑え込んでいても根底で一神教に縛られている国々も多くあるのです。または旧宗主国の長年の搾取による社会の慣習に縛られ、その慣性に悩まされている国々もあります。ならば、そこに日本が割ってはいるのも必要でしょう。今のように外野からあれこれ言っているだけでは、何一つ解決しないのです。安全な日本でイラクがアメリカがと言うだけでは駄目で、実際に日本が飛び込んで動かないと、道は見えてこないのです。それは悪く言うと、ただの三流評論家の言う事です。

何かを掴みたければ、まずは自分が動く。これは日常生活では当たり前の事なのに、どうして国際政治では逃げ腰になるのでしょう。何時までもアメリカに頼っていては駄目で、また最近、誰かが言い出した「日本は中国の属国になれば良いのだ」でも駄目なのです。結局は、それは何時までも他人に頼るばかりの、その人の幼児性でしかないのですから。だから「平和を、世界に平和を」と言うのならば、考えるのならば、まずは日本が世界にアピールできる事を探しましょう。それが私にとってのコミュニケーション戦略であり、イデオロギーなのです。その為には世界中の人々に、もっと日本の考えを押し付ける。それくらいの覚悟も、当然ながら必要です。そしてそれは同時に、世界の人々に日本の優位性を持ってアピールできないと駄目なのです。幾ら世界が広いと言っても、何処に力も魅力も持たぬ国の言う事を聞く国などが有るのでしょう。

ここで言う力とは、それはどのような形でも良いのです。それが日本独自の優位性を確保し、他国がそれを旧来のような暴力手段で奪えないものならば。これはそのまま新しい形の潮流として、他国にも伝わるでしょう。水は高いところから、低い場所に流れ落ちるのです。その逆は有りません。

私は日本が核兵器を持つ必要は無い、そういう立場です。日本が十分に国力を持っているならば、そのような無駄な出費は不必要です。日本と関係する諸外国が、日本を核攻撃で脅そうとする国を諌めるでしょうから。それが現在の北朝鮮であり、だからこそ彼の国も公的には日本を核攻撃するとは明言出来ないのです。しかし日本を狙った核兵器は北朝鮮に限らず、他の国にも有るでしょう。強いて言えば、アメリカの核すら日本向けのプログラムが有るでしょうね。しかし、日本は今のところ持つ必要は有りません。そのような軍拡は、悪戯に日本の国力を削ぎます。

今の日本に必要なのは、世界の中に確固とした地位を築く事です。あらゆる手段を講じて、日本の意見を通す事です。

そしてまた、それは我々一人一人の考えを国政に波及させる事なのです。あらゆる箇所を整理、良くして行く過程で、日本と言う国の優位性を築く事です。それが日本という国を国際的にも高い位置に持ち上げ、後に続こうという国々を生み出す可能性も有るのです。そして、それが世界に平和を齎すでしょう。

平均的な日本人は多神教と言うより無宗教とでも呼べますが、だからこそ幾多の一神教世界にも水のように入り込めるのです。また有色人種にしては珍しく他民族に殖民地として搾取された経験も持ちませんから、変に型にはまった慣習も有りません。これまた水のように入り込めます。なんと、珍しい民族なのですね、日本人とは。また長短併せ持った、曖昧な国民でもある。これまた、デジタル世界にも無抵抗で入り込める。

私たちがそのような、自分達の持つ長所と短所を素直に見つめ、本当に世界に向き合ったとき。そこにこそ、世界に本当の輝かしい未来は見えてきます。その過程で、ある人たちは、異国に骨を埋めようとするでしょう。そこの地が、その人にとり違和感なく過ごせるならば、それは幸いなのです。変に、この島国に留まる事も有りません。

そして日本国内に残る人々も、彼ら他国に渡った人々が誇れる祖父母の地で有り続けるようにする事が、本当の国際貢献でも有るのです。他者との交わりをする人々と、その彼らが誇れる地(故郷)を提供する人々。そこに有るのは狭い島国気質を抜けた、真の国際人としての日本人です。

これらを達成するには、やはり、もっと私達も変わらないと駄目です。何時までも不平を言うだけの暇人ではなく、社会の共同参画者として、建設的な意見を言う人にならないと駄目なのです。また、次代の人達にも繋げる人でないと駄目なのです。でなければ嫌な事に、損な事は直ぐに忘れようとする。それがまた人間なのですから。「継続は力なり」は、ここでも生きてきます。日本の為にも、世界の為にも。広く世間に語りかけましょう、いろんなチャンネルで。それは幾つものチャンネルを持ちます。また、これは制限しても駄目です。相手が偏った手を持つならば、それを利用しようとするのも人間なのです。そこでは日本での執拗な平和路線が、そのまま世界を平和から遠ざける道になる。そんな場合も有るのですから。常に、常に最善を目指す囲碁の道が、唯一の道だと思いますよ。

本質的に多様性を隠し持つ日本人だからこそ、1か0の世界。正か悪かの世界に割って入り、アナログの渦に巻き込む事も可能です。そして彼らの世界を拡げ、より大きな地球という名の下に手を繋がせる事も。そう、私は信じたいですね。

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