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2006年06月01日Thu [16:14] 徒然の話題  

歴史の転換点

BRICsとは、ブラジル、ロシア、インド、中国の4か国の頭文字をとった造語です。これはアメリカの大手証券会社ゴールドマン・サックス社が、2003年秋に投資家向けにまとめたリポートで用いてから注目された言葉です。

つまりこのBRICsが現在のペースで経済発展していくと、世界経済の地図を大きく塗り替えるという予測です。これによると今後30年以内に日本経済は規模のうえで中国はもちろんインドにも抜かれてしまい、21世紀半ばには現在世界の経済大国トップ6か国であるアメリカや日本、ドイツとフランス、イギリスやイタリアの合計をBRICs諸国が経済規模で上回わると言うのです。レポートは21世紀半ばの経済規模として中国→アメリカ→インド→日本→ブラジル→ロシアの順となるとしています。

このBRICsも将来的に世界の経済大国に成るのは間違いないでしょうが、はたして先進国と呼べるような国家に成るかは甚だ疑問です。

先進国(せんしんこく)とは、高度な工業化を達成し、技術水準ならびに生活水準の高い、経済発展が大きく進んだ国のことを指す。後進国(現在では開発途上国又は発展途上国、途上国の方が一般的)に対して、先進国と呼ぶほか、先進工業国、富国、中進国、高所得国などとも呼ばれることがある。

それぞれの国が、それぞれの問題を抱えています。

人命より国策を優先する中露に、カースト制に宗教問題を抱える印。犯罪多発で刑務所襲撃も珍しくない、伯。伊達に、彼の国々は先進国競争に遅れをとっていた訳でもない。

1つ言えることは、これらの国々は過去をひきずったままの国だと言うことかな。

アメリカの一極支配とも言われる昨今ですが、このアメリカの一極支配を別視点から言うと既存秩序の破壊者な訳です。尤もこの既存秩序の破壊は個人の中でも葛藤を生むくらいに微妙な話なので、同一個人の間でも激しく揺れ動きます。

卑近な例から引き合いに出すと日本の景観法なども同様で、その個人が好む景観とは何かと言う問題にも行き着きます。日頃は住環境の効率化を最優先に唱えている人が、自らの住む土地の景観には保守的で有ったりと。

こうなると結局は、その社会が持つ価値観の差でしか無いようにも思えます。そして常に最善を求めて価値観を塗り替えていける国か、そうでない国かと。

これは個々毎の事例を引き合いに出さなくとも、日本も多くの価値観を乗り越えてきています。それらの是非はここで語りませんが、戦後の日本人は多くのパラダイムを乗り越えて来ているのです。共通の大前提は常に新人類(古い表現だ)によって書き換えられ、そして何時しか忘れ去られる。

パラダイム
〔paradigm,「範例(=動詞・名詞などの語形変化の典型的な例)について示した表」の意のギリシャ語に由来〕〔おもに科学史で〕その時代・社会において、一つの分野に属する学者のほぼ全員が共通の大前提として認めている、研究の基本的手法や問題意識(の手本)。〔事物を認識する基本的態度や問題の選択・設定・取扱い・解決の方法など理論体系の枠組を包括的に指す用語。広義では、その分野における思考の枠組や△学問(芸術)の方法論、共通の基準の意にも用いられる〕

そう、昔から日本人の得意分野ですね。

かつてのヨーロッパ人から新しい価値観の台頭と言われた米国と日本、だからこそ雌雄を決する歴史的必要が有った。世界に破壊者は、1人(国)で十分です。。

さて話をBRICsに戻して、これらの国々が先進国入りを目指すと、自ずとそれまでの先進国諸国も変質せざるを得ません。旧東側や途上国の圧倒的に安い労働力(それは先進国の全部を合わせたよりも大きい)が世界に溢れ、しかしそれら新市場の伸びは遅れるでは。

米国の優位性を見習い、自らも先進国入りを目指すBRICsが既存の価値観をそのままに動くと、今後の社会は益々混迷を極めるでしょう。現先進諸国は対外的には保護政策に、国内的には2極化が進み、新興勢力では社会の歪みが国家の不安定化を促す。

このような混迷は何処かで均衡するでしょうが、それが何処かは明確で有りません。国家レベルや個人レベルでの不満はこれからも続くでしょうし、解消する術は有りません。

今後BRICsは益々先進国化し、旧先進国は所謂ところの途上国化する。

ゴールドマン・サックス社の予測は世界的な【先進国】との定義を書き換えた所の、新しい均衡社会を予言すべきとも思えます。これに反発したのが仏の仏基準であり、日本の新しい価値観提供の試みです。他国の製品と明確に区別(差別)する為に、自国の技術や産物に自信を持った国々が動き出しているのです。

日本では漆塗り等の伝統技術を先端技術に組み込んだ事例など、従来の価値に日本独自の価値を加えた製品が模索されています。これは一種の保護主義とも呼べ、途上国の製品に対する明確な差別化です。しかし、日本人の誰がそれに反対できるでしょう。

また液晶やプラズマの核心技術拠点を国内回帰させたりして、自社の技術的優位性を確保する国内企業を責められるでしょうか。

やはり、不満は続く。です。

途上国は先進国の技術を欲し、先進国は技術をBB化する。途上国は安価な労働力を武器にし、先進国は負けずと労働力の2極化で対抗する。泥沼です。

私達は今、正に歴史の転換点に有るのでしょう。

この様な時代に生きる私達としては、まず自分の周囲を整える事が肝心です。他者を批判する視点も大事ですが、それ以上に自らが生き抜く算段が重要なのです。

世界的均衡化の激しい波の彼方、今のままの先進国など存在しえないのです。より生活しにくくなった先進国と、その先進国モドキが共生しえるか。これから益々と熾烈化する鬩ぎ合いの中で、まずは自分のポジションを確保する事です。




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2006年05月23日Tue [18:58] 徒然の話題  

教育基本法を巡って

教育基本法を巡って、与野党の攻防が本格化している。

もし現教育基本法が戦後占領下での法律でも、問題が無ければ変える必要はない。占領下に重要な法律を押し付けてはいけないと言うのが国際法の常識であっても、日本が今から言っても遅いし、まるで意味もない。

問題は、現教育基本法に【問題】が生じているからに他ならない。この問題が昨今の日本人社会に影を落とし、各種の断面が垣間見られるからこそ改正が求められている。

まずは愛国心の問題であるが、与党が「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とするに対して、民主党案では「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に思いをいたし、伝統、文化、芸術を学び・・」等々と続く。ここだけで判断すると、民主党案の方が「より世界基準に近い」だろう。

しかし愛国心の問題は、世界基準に近づけたいだけとの理屈だけでは危険だ。

またこの愛国心の問題は、従来日本なら地域社会が担ってきた事柄ではあるが、この地域社会が日本全国規模で壊滅した現状ならばこその、些か疑問を抱きつつも公教育に委ねるしかない。尤も公教育における精神教育など、肥前鍋島藩の葉隠れ教育から始まる維新政府の教育などが既に否定されている経緯も有るので、長期的に国民サイドが注視していく必要は有る。

次に愛国心の基本は鐘楼のパトリ(源郷)、日本では鎮守の森から流れる鐘の音が聞こえる範囲に愛着を持ち、其処に住む人々を愛する心である。それを1本化して束ねる為に用いてきたのが、近代国家(ネーション)とも言える。

日本では徳川幕府からの経験により長く下地の有った事柄では有るが、諸外国の多くは未体験ゾーンに突入するようなものだったろう。したがって民主党案のように曖昧模糊な言葉を連ねて、何でも愛国心高揚の道具たりえる余地を残したのだ。

しかし昨今は世界規模のグローバル化により、この種の狭窄的な愛国心では他国との軋轢を生じやすい。また、国内の民族間でも軋轢が生じる可能性も有る。つまり日本とは私が常々指摘している様に、平安の昔以前からの多民族国家なのである。多くの民族が合体しての、今の日本民族である。民族主義とは言えど、このように近代国家での民族とは多くの民族の集合体を指す事が多い。その多民族国家としての経験は日本も長く、アメリカなども9.11テロの共同体験によりアメリカ民族たりえる可能性は有るが、まだまだ数世紀の時間は必要だろう。

さて民主党の言う日本とは、誰の祖先を敬うのであろうか。

如何にも、狭窄的な考えである。

日本のおかれた歴史と、それを解決してきた先人達の叡智には遠く及ばない。愛国心問題では与党案の「我が国と郷土を愛する」方が、余程洗練されている。

結局は昨今の治安や風紀の乱れに端を発する愛国心論であろうが、この問題については単なる羨望や拒絶感だけでは論ぜられない。古今東西の国家群が経験してきた、また経験している問題も考慮する必要が有るのだ。

けして「涵養」などと曖昧な言葉に騙されず、それがエスノセントリズムやファシズムに利用される事の無いように釘を刺しておく方が良い。それが与党案の「我が国と郷土を愛する」であり「他国を尊重し国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」なので、これすら理解できない人々が「国を愛する態度とはなんだ」とか「愛国心なんか強制するものでは無い」などと頓珍漢論議に話を咲かしているのだ。

本質は、誰もが暗い夜道を歩ける事である。深夜の砂浜で、心行くまで星空を眺めていられる安心感である。この問題での右傾も左傾も共に夜道をより一層暗くし、益々日本の将来を流動的にする。

ここは他人任せにせず、私達も声を大にして話し合うべきでは無いだろうか。

最後に宗教的情操であるが、基本的な倫理観や道徳観を教える際には必要になる。それを何時しか蔑ろにしていた世相が、日本で昔話の衰退にも繋がっていると言っても過言ではないだろう。事実、最近はポピュラーだと思われてきた昔話も若者には通じないのだ。

此方は民主党案の方が好ましく、「宗教的感性の涵養」と盛り込まれている。

日本は東洋系なので欧米やイスラームにように特定宗教に嵌り込む恐れは無いが、さりとて宗教心を持たない人が世界で信用されないのも事実である。やはり子どもの頃から宗教に対する道筋だけは、つけておくのも必要だろう。

愛国心に宗教心。この下地を持たぬ人間は、世界でも信用されない。

または、話が出来ない。

相手と、相手の国と同じ土壌(愛国心なり宗教。これが物差しともなる)を持たぬ、存ぜぬでは信頼ある関係(話)すら出来ぬのも当然と言える。誠、変な教育基本法が今まで罷り通っていたのだ。


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とまあ、ちょっと文体を変えて書いてみました^^。




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2006年03月23日Thu [15:04] 徒然の話題  

健全なナショナリズム

世界のベースボール最強決定戦であるWBC第一回大会も、奇跡的な日本の優勝で幕を閉じました。ここは日本球界からの全面的支援を受けられずに孤軍奮闘してた王監督や、途中からプロ本来の戦う集団と化した選手達に拍手を贈ります。



映画【メジャーリーグ4】でしたか、自分達が最強と自惚れていた米国に、冷や水を浴びせかけた3Aチームが日本だった訳です。当然、自尊心を傷つけられた米国の反撃も予想されます。同じく映画【帝国の逆襲】ばりに、今度は本気で来る事でしょう。

決勝の相手国であるキューバもまた、過酷な(米国側の算段では)戦いを強いられていました。米国の思惑では自国とドミニカの決勝戦とする筈が、どちらも決勝戦に進出できないという想定外な大会だったのです。

しかし私は、2次リーグで日本がB組に入っていればと感じるのです。

米国で催された2次リーグは、日本にとって愉快なリーグでは無かったからです。米国側のアジアン・ベースボール軽視の証でしょうか、疑惑の審判があり、隣国同士の政治絡みがありの、とても戦いにくいリーグだった事は容易に想像できるでしょう。

王ジャパンにとって、これほど戦いにくい組み合わせも無かったでしょうね。それでも緻密な戦いを続け、最後には栄冠を手に入れた精神力に感心するばかりです。

勝負の世界に生きる人なら、当然「勝負事は勝たなければいけない」と考えます。「勝たなくても良いや」などとプレーする選手に、誰が夢や感動を感じるでしょう。

WBC開催前にイチローによる「暴言」と韓国側が反発する言葉も、これは勝負の世界に生きる人物ならではの発言なのです。これに韓国側が腹を立てたならば、同じように言い返せばよかっただけの話なのです。

それを韓国側は自国民のナショナリズム高揚の為の、そんな道具にしてしまった。

日本ではマスコミが自国のナショナリズム高揚に気を使いますが、それが外国では高揚の為の道具である事が半ば常識です。

韓国は単なる高揚の道具から、今やエスノセントリズムにまで育っています。

エスノセントリズム(英:ethnocentrism、自民族中心主義、自文化中心主義)は、社会進化論者ウィリアム・サムナー(William Graham Sumner)の造語で、自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。

それが日本の選手に対するブーイングや、挙句のはてには日本人選手のホームランボールを叩き落そうとダンボールが球場に舞い散るのです。(準決勝時の1シーンで、本当に観ていて気分が悪くなる)あげくは、マウンドに旗を突き立てる。

これは韓国の国家が生まれた生い立ちからも説明できて、今の韓国は太平洋戦争前の日本と同じ国民意識にあるのです。日本の場合も明治維新まで国民国家としての意識を持ちませんでした(あったのは多くの藩と、幕府)から、それを纏める為の方便として天皇制エスノセントリズムが発動されたのです。

ナショナリズムがエスノセントリズムに変化しない限り、ナショナリズムは国民の間に連帯感を齎す良い面が有るのです。それをマスコミや知識人達が日本のナショナリズムだけ目の敵にしていては国民が駄目になります。何時までも無菌室に隔離していて、真に強い日本人に成れるとお考えか。

それを山本晋也あたりが「ナショナリズム駄目よ」論など出してイチローを責めようとしても、かえって底の浅さを露呈するだけに成ります。実際の球場から、テレビのカメラを通じて、韓国の異常なナショナリズム(それはもう自民族中心主義)が流れ出してくるのですから。

知識人を自認するなら、何故安易なナショナリズムが駄目なのかを説明しなくては成りません。それにはうってつけのお手本(韓国の異常なまでな熱狂)が、その画面を通じて流れ込んで来ているのですから。これに目を閉じていては、真の知識人とは言えない。

これからもマスコミが国民を無菌室に隔離しておこうと考えるのならば、益々、日本人は真の連帯感(ナショナリズム)からエスノセントリズム(自民族中心主義)へ振れ易い危険な道を冒し続ける事になります。

知識人→体制批判→特A擁護などと安易な流れでは、もう知識人とも呼べない堕落した独覚(小乗(ヒーナヤーナ、hiinayaana)仏教(しょうじょうぶっきょう)用語)でしか無いのだよ山本晋也さん。

「こういう姿、めったにないでしょ。イチローが日の丸をこうやって持って。何で急にこんなにナショナリズムに対して熱い人になったんだろうと。日の丸ナショナリズムというか、スポーツ日の丸。そういう意味ではすごい」by山本晋也

バカ。。

「勝負事は勝たなければいけない」…王監督ら帰国会見
(2006年3月22日21時49分 読売新聞)
王監督は「フィギュアの荒川選手が凱旋(がいせん)した時にうらやましいと思っていたが、日を置かずして、自分たちもそのような熱烈な歓迎を受けるとは思っていなかった。やはり勝負事は、勝たなければいけないなと感じている」と笑みを見せた。

もっとも国際大会などで各国のナショナリズム溢れる応援振りを目の当たりに出来る昨今の日本人ですから、マスコミや自称知識人が騒ごうとも流れは変わらないかな。

エスノセントリズムこそが回避すべき思想であり、健全なナショナリズムはワクチンであればこそ、【毒薬】では無いのです。


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2006年03月11日Sat [01:11] 徒然の話題  

最近の日本外交

最近の日本外交は以前と些か趣が違ってきたように感じられますが、これは小泉自民党の特ア外交スタンス、及び日本のインターネット環境の充実と無関係では無いでしょう。

インターネットを散見していても、左右共に不平不満は出ています。左系は日本の右傾化を嘆き、中道・右系は相変わらずの偏向マスコミや政府の弱腰を嘆きます。

しかし、少し考えてみて下さい。

組織(政府・マスコミ)は、社会が急激な転回をしないように存在するのです。慣性でね。

現代は情報が大量に流れ込む時代であって、いくら政府やマスコミが口を閉ざそうとも瞬時に情報が行きかいます。中国だろうが韓国だろうが、即座に現地の情報を見られるのです。

そしてもう1つ重要なのは、相手との距離感を保つ事です。

私の事を良く知る人ならば、ここで思わずズッコケルかも知れません。私自身が、時には0距離発言をするからなのですが、でも実際に日本と特定アジアの問題も「そう」なのです。

話を戻して、戦後の日本が採ってきた【大人の対応】が特定アジアの距離感を狂わせ、際限の無い反日感情を惹き起こしているのは事実なのです。小泉がでは無くて、それ以前の総理大臣時代から続く反日の悪循環に現在は有るのです。

人間関係だろうとゲーム(将棋・囲碁)だろうと、距離感無き対応をしていると、相手側が上手くなりません。つまり引いてもらえるのが当然と感じるようになって、何処までも押すだけのヘボ打ちに成るのです。それが、特定アジア人が世界中で嫌われる理由です。日本人が、世界中からサイフとして見られる理由です。面白く有りませんねえ、どちらも。

つまり日本が従来どおりの懐柔策を採ろうが、まるで駄目だと言う事です。

相手側(特定アジア)など知ったことでは有りませんが、日本は常に選択肢を多く持っているのが有利だと。それが慣性に縛られた政府でありマスコミであっても、それが国内に存在する事自体が真に大人の国家だと。どちらにも、容易には流されませんからねえ。

そして今は、押し返し時期(距離感の)に当たると思えるのです。私はね。

だから、今は言う事は有りません。

当分は無いでしょうが、特定アジアが反日感情丸出しから、新しい状況判断によって引いた言動を見せても尚、日本が押し続けるようなら私の文章は変わります。

その時点での、左系へと。。。

それが、本当に平和を求める態度だと信じて。。。

駐日中国大使、呼び出し拒否翌日に次官と非公式会談
(2006年3月10日23時8分 読売新聞)
中国の李肇星外相が小泉首相の靖国神社参拝を「愚かで不道徳なことだ」と表現した問題で、谷内正太郎外務次官が同国の王毅・駐日大使に電話で抗議した翌9日、都内で非公式に王大使と会い、会談していたことが10日分かった。

王大使は8日、「日程の都合」で会談に応じなかったため、谷内次官が「適切な表現を用いるべきだ」と電話で抗議していた。

9日の非公式会談では、王大使が麻生外相が同日の衆院予算委員会で台湾を「法治国家」などと表現したことについて、「外相の発言は重い」などと抗議した。谷内次官も「それはお互い様だ」などと、李外相の発言を改めて批判。厳しいやりとりが交わされたという。

一方、在日中国大使館は10日、王大使が8日の会談に応じなかったことについて、「当日、大使主催の重要な行事などを予定していたため、相談した結果、翌日会うことにした」とする談話を発表した。



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2006年03月09日Thu [20:41] 徒然の話題  

小選挙区制とは

選挙制度に理想的解決など有ろう筈も無いのですが、自民党の細川政権で現行の「小選挙区比例代表並立制」が導入された理由に談合・馴れ合いなどの日本的政治風土一掃が有りました。

これはそれまでの中選挙区制という世界的にも珍しい選挙制度が、地元サービス密着型の政治家が大量に生まれる原因になっていた事。その結果、政権与党たる自民党が圧倒的有利となって働き、一党の長期政権を許す原因にもなっていた事。などが理由です。

前者は政界の腐敗を促し、後者は与党と野党の間に越えられない溝を設けていたのです。これでは主権者である国民の声は無視され、与野党の棲み分けが促進される選挙制度だったとも言えます。

これを政党本位・政策本位の選挙制度に近づけようとした細川政権努力の成果が、小選挙区制なのです。

最近は政党マニフェストなども云々されるように成果も出て来ましたが、まだまだ現行は不十分な選挙制度です。小選挙区で落選しても比例区で復活と、批判も多い不思議な選挙制度なのです。

しかし、この不思議な選挙制度の下。昨年の郵政総選挙で自民党は大勝し、民主党は惨敗しました。

その小選挙区での得票数は1・3倍、議席数では4・2倍というズレが見られます。つまり自民党と民主党の差が1・3倍の得票差でしか無いのに、議席数では4・2倍と大きな差になった訳です。

これでは民意を反映していないと「民主主義的市民派」は主張しますが、これこそが小選挙区制の最大のメリットなのです。つまり政権に緊張感を持たせ、政党本位・政策本位にするメリットです。

郵政総選挙では自民党に追い風が吹きましたが、次回の総選挙では、その時の状況によって与野党が逆転するかも知れない。と。

このように、常に政権与党に圧迫を与えては、野党にも政権党への可能性を与える選挙制度が小選挙区制度なのです。後は比例区選出を廃止して、完全な小選挙区制度に変更するだけです。

国民の声を国会に確実に届ける制度、それが完全小選挙区制度となるでしょう。

これは短期で見れば民意から外れるような錯覚を与えますが、政党本位・政策本位でない政党は票が僅差でも議席が激減し、与党から脱落するという、次回選挙への圧迫として作用するのです。

もしも万が一、以前のような中選挙区制度に戻すと【得をするのは与党】ばかりに成ります。

小選挙区制度の意義、それを忘れての選挙制度批判はお門違いなのです。

郵政総選挙で自民党が圧勝したからと言って、それで小選挙区制度が駄目と言う論理の飛躍は軽率であり、寧ろ政党本位・政策本位な時代に日本も突入したと喜ぶものです。

従来のような自民党による長期政権を許さない制度が、実は小選挙区制なのですから。

したがって今後の野党も、もはや批判だけの野党は許されなくなって来ているのです。どの政党も圧倒的議席数を与えられる可能性(候補者を出してさえいれば)を秘めていて、何時でも政権与党と交代する実力と責任感を持っていなくては、最早、駄目だからです。

野党らしい野党などとは、責任感を持ったら絶対に言えない言葉なのです。

そんな甘えた政党を許せるほど、今の日本を取り巻く環境は生易しいものでは有りません。


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